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バツイチ40代女の日記です

僕らはみんな生きている

先日、NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」を観ました。

「分からないこと」に微かな接線を引くことだけを考え、この番組を作りました。

NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」

という通り、わからないということだけを丁寧に描いた番組だったと思います。

アウラとアウレという二人の男性が突如現れ保護された、と。彼らはイゾラドだった。

イゾラドとは文明社会と接触したことのないアマゾンの先住民をいいます。

NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」

彼らは、世界で2人にしかわからない言葉で話し、保護の名のもと、あちこちを転々とさせられ、殺人を犯してもなお、その日々が続きます。
そしてアウレが末期がんで死に、アウラはアウレのことを全く話さなくなりました。

分かっているのは、言語学者が必死に聞き集めた約800の単語。

彼の孤独もすごく考えさせられたのですが(自分がその立場だったら、と考えると本当に孤独の色が濃い)、それより私の心に引っかかったのは文明社会側と言われる人たちでした。
ブラジルという、日本と比較するとまだ貧しい国での出来事であることもあって引っかかったのかもしれません。

うろ覚えですが、最初にアウラとアウレを通報した住民(開拓者であり侵略者でもあると思う)が「ナタを振り回していてとても恐ろしかった」と振り返り、彼らが保護され移送されるとき「これでこの土地は私のものだと思いました」と笑顔で答えてるのです。何の悪意もなく。今自分がその年を所有していることが正しいことであり、その状態に持っていくまでの苦労話、的に。
害獣の駆除的な感覚だったのではないかと思い、その感覚に動揺しました。

また、彼らが転々とさせられた先住民保護区(?)のうち、人殺しを犯した保護区にいた女性(だからたぶん彼女も先住民族)が電話で
「思いだすだけでも恐ろしい。彼らは人間ではない。顔も見たくない」
というようなことを言っていました。

言葉が通じない人間、意思の疎通ができない人間、それは結局「賢い獣」と同じなのかもしれません。だから「保護」してるのかも?
そんな扱いをするなんて、そんな感覚を持つなんて、と衝撃を受けるのは人権を守られて「先進国」で生まれ育ったからなのかもしれません。

「雷の音」「矢」「みんな」「死ぬ」的な事を繰り返し話すというアウラ
保護区で誰も聞いていなくても話し続けます。子供を大事に抱える女性を観て
「子供」「死んだ」
と。

どうすればいいのか、なんて、全くわからないし、誰もわからないんだろうなーって感じの、いい番組でした。