結局、その題材を元に連想ゲームしてるようなものだから自分の脳内をさらけ出すことになりそうだよなぁ、と。で、割とそういうことが好きな人間なのでやってみようかなぁ、とか。
大人が見て恥ずかしくないテレビ@脳内
十台後半まで、テレビはアニメしか観ないような生活だった。天気予報すらまともに観た記憶がない。ニュースにもドラマにも興味がなく、アニメばかり観ていた。
そうこうするうちに就職してテレビを全く観なくなった。テレビは押し入れの中にしまったまま。
相変わらず天気予報すらまともに見ていない生活だったのだが、徐々に「アニメは子供が観るもの」「大人が観たら恥ずかしいもの」と思うようになっていった。父親が漫画やアニメ好きな人間だったのでそれへの反抗という感じだったのかもしれない。エヴァ観るために嘘ついて残業断ってたからね、親父www 兄も弟もアニメ大好きだし。
「エヴァを観る父はみっともない」から「アニメを観る大人が恥ずかしい」に、「いろいろあっても楽しい我が家」から「私が育った異常な家庭」に脳内で変質していった。
結婚相手はテレビっ子(おっさん)
結婚相手は営業だったことも影響してると思うのだが、毎日ニュースを録画し、シーズン毎にドラマをチェックし、何はなくともテレビをつけている人だった。
うるさいなぁ、と思いつつ驚いたのだが、なんだかドラマがアニメみたいなのだ。特に女の話し方。
え?
最初の違和感があった。そしてそういう(アニメみたいな)ドラマを観ることに抵抗感があった。
次に、夫が「ダッシュ勝平」の再放送を懐かしいと観ているときにものすごく恥ずかしくなった。
あれ、私、アニメもドラマも観れないのか・・・。
アニメはデフォルメされた世界。話し方も強調されている。
舞台はデフォルメされた世界。話し方も強調されている。
ドラマだってデフォルメされた世界。話し方も強調されていておかしくはないのだ。
まして、テレビを観ないで過ごした時間が20年になろうとしている。アニメを観てそれをよしとした世代が観るドラマが「アニメ化」していてもおかしくはない。
そんなことを考えた。
でも、もっと考えると最後に見たドラマなんだっけ? 「101回目のプロポーズ」か。あれが「ナチュラル」だったか? そう考えると、昔からドラマでもデフォルメされたような、その時々の感情を強調し、大げさに演じていたのかもしれない。
私が勝手にテレビから離れて、脳内の「アニメじゃないもの」を発酵させすぎた。
そう考えるのが妥当そうだと思った。
ちなみに舞台や映画を観るのは平気です。
あと、吹き替え版の海外ドラマも平気でした。
そうやって離婚したりなんだりしてるうちに「あまちゃん」を観れる程度にはなりました。
でも、漫画原作だと全体的にレベル下げてない?
ここから観もしないでの語りなんですが、「怒り新党」でマツコさんが「報道系の人間はバラエティを見下し、俺凄いんだアピールが激しい」というようなことを言っていて、スタッフにバカ受けしてた。それで何となくテレビ業界のヒエラルキーを垣間見た気がした。
「寄生獣」の映画がいまいちらしい。
と、最近漫画原作のものがイマイチっぽい(私の脳内で)
アニメでミギー役の平野綾さんがものすごく丁寧に演じていたことが話題になっていたけど、映画や実写のスタッフ全体がこのくらい作品と真剣に向き合ったのか? と疑問に感じる。美術さんとか小道具とか演出含めて。
原作どおりに、じゃなくて、理解したうえで別の色を塗ってるのか、と。そこに美学はあるのか、と。
あ、あとでカットされまくりらしい金曜ロードショウの寄生獣観ます、はいw
ちょい前の「のだめ」とか成功したものはやはり作品ときちんと向き合ってるんじゃないかなぁ。