生命の成果物はウンコであり、ウンコを作れなくなったら基本死ぬ
(と書いたら消化器官系の病気の人に怒られるだろうか)
(そんな病気の人はこんなキチガイブログ読んじゃいけません!逆ギレw)
「人を簡単に殺せる銃が欲しい」だの「死にたいときにいつでも死ねるようにしてほしい」だの殺したい死にたい変えたい変わりたいとヒステリー状態の梯子たんに
「「♪どこか遠くへ 逃げたら 楽になるのかな そんなわけないよね どこにいたって私は 私なんだから」と宇多田ヒカルは歌っております」とコメントした。
まぁ、離婚して北海道まで逃げてみたのが私だよな、と。
んで、ちょっと気になったのが
この、鬱病な。精神的疾患を持った場合「私は私なんだから」と言えるかなぁ?
薬飲んで「心境の変化というより感情の変化というかなんというか・・・」な状態は「私」なのか?
nekoraさんを許せるありむーはありむーなのか。
このどこか遠くへ逃げる前のワンステップを加えるのが梯子たんらしさかもなぁ、と。
俺は他人のせいで不幸だという人は誰かが幸せにしてくれると信じ込んでいる
料理の過程に全く関心が無く、故におそらくカーチャンよりよっぽど手間暇かけて料理を作ってくれている嫁に、ただただ「カーチャンと違う味」だから「嫁の飯がまずくて、我慢する俺偉いwww」と勘違いして、暴言はいてるクソ男とそういうクソ男に我慢に我慢を8年重ねて、夫を改宗させることに成功したわ〜ってクソ女どっちも気にいらねぇーってのがあってひっかかってた。
食事とか食育とか母乳とか、食と女(母)のつながりが強いのかなぁ、私は。
まぁ、人間最初に受け入れれる栄養素は基本母親が提供するわけである。あ、母乳でない人傷つかないでね(;´Д`)
ソレを科学の力でダンダン便利にしてるわけっしょ。
味の素でも出汁でも人口肉でも無農薬野菜でもウンコ(とおしっこ)の素だってことよ。
そこに拘ったって良いけど、結局でるモノは一緒だからな、と。
食事大事なのも分るんだけど、今地球上で飢えている人が沢山います。食料が足りません。コレコレこういうものを食べるようになればみんな満たされますって時にあーだこーだ文句言い、自分とその大事な人間にだけ美味しいものを食べさせたい、と思うのだろうか。
要はうちの母が飯マズなんだな、と。
母が脳梗塞、兄が動脈瘤になるような殺人料理であり、ソレを食う私には「食事に拘る」こと自体が面白くなく感じるんだろうなぁ、と。